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絹志郎マニア

絹志郎の日常と体調管理

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そんな、、知らなかった。

3月。

愛猫・絹が亡くなった3月。

そして、「アメショっす!」の銀ちゃんが亡くなったのも。

1年なんだね、と、皆さんコメントに書かれていた中に、衝撃的なコメントを見つけました。

「昨年は銀ちゃん、うにちゃん、はっちゃんと立て続けに…」

え?

え?!

えぇ?!

はっちゃんが?!まさか!


急いでブログに飛んでみたら、はっちゃんによく似てはいるけど、違う「きゅーちゃん」が居ました………。

しばし、ぼう然……。

そんな、いつ、、。

昨年のネットのPEPPYには、まだはっちゃん登場してたように思ったのに、あれは過去記事??

調べてみたら、6月9日に亡くなったと……。


言葉が出ませんでした。

知らなかった。

ハチワレにゃんを見ると、はっちゃん♪って言うぐらい母も好きで、たまに、はっちゃん元気かな〜なんて言ってましたが。

なんて伝えよう……。
言わない方がいいのか。


はっちゃんも、急に体調を崩して、亡くなったんですね。
何か持病を持っていたのかな…と思いましたが、前後の記事ではわかりませんでした。



絹志郎、亡くなるちょうど一年前の写真。

自分のしっぽを追いかけて遊んでるんです。

1年後、亡くなるなんて、思ってなかった。

高齢猫の1年は、人に換算すると5年という研究者もいます。

私は3年くらいかなと思ってました。

それでも、人の3倍の速度で老いる。


上の写真の5ヶ月後の絹志郎。

実はもうすでに、この時、顎下に癌ができてるんです。

この時、抗がん剤や手術をすれば、助かったのかと、今でも考えます。

高齢での手術、帰ってきて叫び声をあげるほどの大嫌いな病院、……どうしてあげる事が1番なのか、悩み続けました。

今でも、やっぱり私の選択は、間違っていたのかもしれない……と思う事があります。

今更なこと、ですよね。

ずっと「正しい答え」なんて分からないんでしょう。


はっちゃんの訃報を、今更ながら知って、また哀しさが増えてしまった……。

昨年末には、ネットの猫友さんの愛猫も亡くなり……、ほんとに悲しいなんて言葉だけでは、言い尽くせない辛い年でした。

新しくはっちゃんちに来たきゅーちゃん。

はっちゃんみたいに、皆んなの笑顔の源になってね。
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感謝

2月ももう終わりますね。

昨年の2月10日に絹志郎が亡くなって、お世話になった病院の先生からお花を頂いたり、ネットで知り合った猫友さんから絹志郎グッズを頂いたり…。

なんて、私は幸せ者なんだろうと、しみじみ思います。

1年振り返って、絹志郎が居ないのを考えないよう、いろんな事に挑戦してました。

でも、2月が近付くにつれ、気持ちが辛くなってました。

ときが経つのは早い。。
止まってはくれない。

うるうるする事が増えてたとき、ちょうど絹志郎が亡くなった10の日に、贈り物が届きました。


かわいいブローチです(*´∀`*)

ずっと絹志郎の体調管理にアドバイス頂いてた「エヴァ動物病院」のゆきちの母さんからのプレゼント!!

絹と絹志郎ににてるかな〜?って思って、わざわざ贈ってくださったんですよ( ;∀;)嬉しい!

いつも見える所に(テレビの下)置いてます♡

絹志郎の死はもう1年前の事、病院を運営さらてたら、動物達の生死はいつも目にされてる事と思います。

だけど、こうして覚えていて下さっていたのに感激しました(泣)

アップ遅くなっちゃったけど、本当に本当にありがとうございます!


そうそう、この一年、私を癒してくれた子達が居ます。

写真のアメショーは、東京文京区本駒込にある猫カフェ「アンフロッカス カフェ」の銀次郎君。


裏はこんな感じ♡

もうひとりアメショーの「小五郎」君が居ます。
どっちも絹志郎にちょっと似てるの(´∀`*)ウフフ

もう、可愛くて可愛くて、ワタシお店のTwitterやFacebookにいつもコメントしまくってて、ストーカーと化してます(笑)

このがま口は、お店開店3周年のお祝いに、お送りしました♪
オーナー様から「いつも近くに銀のがまぐち置いてるんですけど、本当にかわいくて、気づくと見つめていて手が止まっています笑
そのくらいかわゆいです♡」なんて嬉しい感想戴いて、狂喜乱舞(笑)

そしたら、今日こんなにたくさんのプレゼントを頂いてしまいました!

3周年記念に、お客様にお渡しした物を私にも贈ってくださったんです〜!+チョコとラーメンも(笑)

じゃがりこにカフェのスタッフにゃんが印刷されてて、食べてもカラ容器が捨てられないw

洗って、何かにしようと思います♪

わざわざこうして会った事もない私に、贈り物をして下さる方に出逢えて、ビックリな事だと思います、しかもネットで、ね。


絹と絹志郎が居ない寂しさはかわらないけど、いろんな方に支えられて、1年過ごせました。

本当に、ありがとう♡

そして、これからも、宜しくお願いします(*´∀`*)

一年が。

今日2月10日は絹志郎が亡くなった日。

あれから、一年。

去年の今頃は、呼吸が乱れてきた絹志郎の手足をさすりながら、どうか最後ぐらい苦しまずに……と祈りながら側にいてた時間。

最後が近い事は分かってた。

居てほしい気持ちと、もう辛い病気から早く解放させてあげたいきもちと。

呼吸が止まっても、まだ小さく動く心臓の鼓動を眺めながら、あぁ、生命力が消えていくんだなと実感した。

完全に心臓が止まった時、悲しさと同時に、なぜかほっとしたのも事実。

もう終わったんだな…って。



あれからまだ一年なんだ。

もう、一年とも。

どっちも思う。


いつもは見ない最後の絹志郎の写真を、今日は久しぶりに眺めた。

いま、この文字を打ってるこの時間に、絹志郎は亡くなりました。

絹の時はあまりの悲しさに、時間なんて見てなかったのに、絹志郎の時は、細く状態を書き記してました。

そのメモの最後は、亡くなった時間で終わってます。


絹志郎、よく頑張ったね、ありがとう

そんな言葉を、母と言い合ってたのが、まだ一年前だなんてね。

今も会いたいです。

最後まで私達の看病に応えてくれた、我慢強く賢い子でした。


ずっと愛してるよ、絹、絹志郎。

やっぱり書いてしまう(笑)

絹志朗が亡くなって9ヶ月がたちました。

もうここに書くこともないかなー、なんて思ってたけど、写真を見つけるとまだ親バカ・自慢虫がムクムクと(笑)


遡ればこの写真、ここにも使ったかもしれないけど、その時はスマホなんてなくて、こんな写真を飾るアプリも無かった。

ま、この目がラブリーかどうかはさておき(笑)

懐かしい、と同時にまだ数年しかたってないのか……と思考が停止する時があります。

寂しいとか、悲しいとか、感情ではなく、なぜか私の場合、思考回路が止まります。

こういうのもペットロスなんでしょうかね……。

ここ数日、体調がかなりひどくて、気分も塞ぎがち。
母の病状も思わしくなく、ずっと私達の癒やしだった絹志朗がいない事が、本当に気持ちにどれだけ影響があるかを感じます。

頑張ろう、やりたい事やろうって思えるのですが、どこか、何か、気持ちが欠けたようなままで、……。

うまく言えないんだけど、、結局のところ寂しいんでしょうね。

何にもしないでただ寝てお腹空いたらポンポンと肩叩きに来て、食べたらサッサと寝る(笑)

猫ってそれでも一緒にいて飽きない生き物です。

スヤスヤと気持ちよさそうに寝てる姿を見るだけで、疲れも嫌な気持ちもなーんにも無くなってしまうぐらい。

16年、それが当たり前だったから、居なくなった事を受け入れていても、気持ちはついていってないんです。

体調が悪くて寝てると、ふと絹志朗がのしのしやってきて、ドカッと気持ちよさそうに横で寝てたのをしょっちゅう思い出して、今だっら羽布団だから嬉しがったろうな〜とか思ってしまう。

何をしても「絹志朗がいたら……」って考える。

なのに、あの子達の写真を見ると、そうだ、うちにも猫が居たんだ、夢だったみたいな気がする……とも思うのはなんでなんだろう?

答えは、出ないんだろうな。きっと。

懐かしい写真

「9年前の9月はこんなの」ってクラウドアプリから写真が送られてきた。



私のYシャツにどっかり乗ってますw

今でも、写真を見ると、絹志郎のふわふわの毛並や温かさを思い出して、勝手に涙が落ちてきます。
悲しいとか、そういう感情なのかどうかも分からないのに、涙だけがポロポロ落ちて・・・。

手を伸ばせば触れられそうなのにな・・・と思ってしまう。

じっとこちらを見る絹志郎が、今にも動いてくれそうで、長い時間この写真を眺めてました。

動画サイトなどでアメショーの子達の可愛い日常生活、なんてことない、ご飯食べたり、おやつもらったりする動画を見ては、癒されてます。

不思議と、その子達を見て「あぁそうそう、絹志郎もそうだったな」って笑ってしまうけど、その子たちが絹志郎に見えることはないです。

以前はきっとそういう動画を見たら絹や絹志郎を思い出して泣いてしまうって思ってた。

でも、やっぱり絹や絹志郎じゃない。

当たり前なんだけど、自分の中では少し意外でした。

にゃんこはみんなどの子もそれぞれ個性があって、本当にかわいいです。
だからこそ、飼い主さんにとっては「この子が一番!」って思える。
「ねこ」だから可愛いというのと、「うちの子がかわいい」は全然別次元ですよね。

私はトールペインターとして雑貨にペイントとしたものを販売していますが、委託先のオーナーさんが言っていた「猫が欲しいんじゃなくて、あの子じゃなきゃダメなの」という言葉に本当だなと思いました。

もちろん愛猫をなくして、また保護した子を引き取ったりする事ができれば一番です。
今生きようとしている命を支えてあげられるのはすばらしいことだと思います。

ただ、「そんなに寂しいならまた飼えばいいじゃない」と慰めのつもりで言ってくれる人もいますが、新しく迎える子は亡くなったどの子の代わりにもなれないという事なんだけどなと。

「心に空いた猫型の穴はまた猫でしか埋まらない」とどこかで読みましたが、私はあえて「ぴったり合う子はいない」と言いたいです。

それよりも、新しく迎える子の可愛さをまた十分に愛してあげればいいんです。

空いた穴は、埋まらないものなんですよ。
何十匹飼って、たくさんのさよならをした人も、それぞれの子を思い出してはやっぱり寂しいんです。別れに慣れることはありません。

10年経っても、その先も。

思い出して泣かないようになるには何年かかるんだろうって思ってましたが、泣かなくなる必要なんてないんだと思えるようになりました。

だって、寂しいんだもの。
いいじゃない、泣いたって、今も愛してるんだもん。会いたいんだもの。

楽しい思い出だけを思い返して笑えるようになったのなら、それもいいよね。

でも、泣くことも、笑って思い返すことも、どちらも亡くした子を本当に愛するがゆえです。

どうして泣くのを止めさせようとするのかとちょっと不思議に思います。

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プロフィール

HN:
saori*
性別:
女性
職業:
トールペインター
趣味:
手芸の類ならなんでも♪
自己紹介:
私の遺伝子の中に「猫が好き」が書き込まれていると思う。
現在アメショー猫・絹志郎の姉貴分(自称)。
大阪在住。

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