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絹志郎マニア

絹志郎の日常と体調管理

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14日の危機……。

14日の夜は、正直今頃絹志郎はいないと思っていた……。

まさか……の連続でした。

「まさかこんなに悪くなるなんて……」
「まさかこんなに回復できるなんて!」

夕方からそれは始まりました。


いつも飛び乗れる段差が登れず、どうしたのかな……と思いつつ隣の部屋のベッドに寝かせたのが夜7時前。

自分たちの晩ごはんを食べて、絹志郎に水とサプリメントを飲ませなきゃと思っていたら、「ドタッ」という音が。

あわてて見に行くと、後ろ足がまともに動かず大きくよろけながらそれでも歩こうと必死な絹志郎がいました。

びっくりして支えたとたんに嘔吐。
ただでさえ脱水なのに、大量の水分と胃液が出てきました。

その後トイレで踏ん張ったあとも嘔吐。
眼球が左右に細かく揺れていて、目が回っているような状態。

体に力はなく、見開いた目はどこも見てない感じでした。

実はこの日の昼間、往診してくれる病院を検索で見つけていました。
何かあったらここに電話してみよう……と。

そう思ったのは、何となく絹志郎の状態が良くないと感じていたからかも。

でもごはんは嫌がらずに食べていたし、おしっこも便も少量ながらも出てたので、気にしすぎかなと思ってました。

7時に状態がひどくなってすぐに見つけておいた病院に電話。

でも電話の対応をしてくれた病院の方は、最初今日の往診は無理だと言われました。

それでも絹志郎の状態を伝えて輸液をして欲しいとお願いし、向こうも先生に相談して折り返しお電話しますと言って頂きました。

通常の診察を終えて先生が来てくださったのは午後9時。

丁寧に説明してくださり、輸液と一緒に投薬をしてくださいました。

その時点で絹志郎の体温は低く、心拍数は早いというかなりぎりぎりのところで頑張っている状態でした。

14日の深夜が山かもしれないと言われて、母と私は交代で絹志郎を見守る事にしたのですが、これまでの看病の疲れと心労でもう限界でした。

それでも仮眠している間に逝ってしまったなんて事にはしたくないという想いがあったので、とにかく手と腕を絹志郎に回して抱えるようにして温め、優しく声をかけながら側に居続けました。

絹志郎の体はかなり厳しい状態なのにその夜は寝なくて、側にいる私たちの方がうとうと……ハッ(゜ロ゜;という繰り返し。

結局朝方になって部屋の電気を消してあげてようやく寝てくれました。

それから4日たった今日も、絹志郎は元気にごはんを食べ、トイレも危なげなく独りでし、水も喉が渇いたら自力で飲むほどに回復してます。

まさかこんなに回復できるなんて思ってもなかったので、本当に驚きです。

……たぶん往診に来てくれた先生はきっともう絹志郎はいないと思っているに違いない(笑)

でも長くこれが続くとは思えないので、あまり喜び過ぎないようにしてます。
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私の遺伝子の中に「猫が好き」が書き込まれていると思う。
現在アメショー猫・絹志郎の姉貴分(自称)。
大阪在住。

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