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絹志郎マニア

絹志郎の日常と体調管理

カテゴリー「ペットロス」の記事一覧

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一年が。

今日2月10日は絹志郎が亡くなった日。

あれから、一年。

去年の今頃は、呼吸が乱れてきた絹志郎の手足をさすりながら、どうか最後ぐらい苦しまずに……と祈りながら側にいてた時間。

最後が近い事は分かってた。

居てほしい気持ちと、もう辛い病気から早く解放させてあげたいきもちと。

呼吸が止まっても、まだ小さく動く心臓の鼓動を眺めながら、あぁ、生命力が消えていくんだなと実感した。

完全に心臓が止まった時、悲しさと同時に、なぜかほっとしたのも事実。

もう終わったんだな…って。



あれからまだ一年なんだ。

もう、一年とも。

どっちも思う。


いつもは見ない最後の絹志郎の写真を、今日は久しぶりに眺めた。

いま、この文字を打ってるこの時間に、絹志郎は亡くなりました。

絹の時はあまりの悲しさに、時間なんて見てなかったのに、絹志郎の時は、細く状態を書き記してました。

そのメモの最後は、亡くなった時間で終わってます。


絹志郎、よく頑張ったね、ありがとう

そんな言葉を、母と言い合ってたのが、まだ一年前だなんてね。

今も会いたいです。

最後まで私達の看病に応えてくれた、我慢強く賢い子でした。


ずっと愛してるよ、絹、絹志郎。
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やっぱり書いてしまう(笑)

絹志朗が亡くなって9ヶ月がたちました。

もうここに書くこともないかなー、なんて思ってたけど、写真を見つけるとまだ親バカ・自慢虫がムクムクと(笑)


遡ればこの写真、ここにも使ったかもしれないけど、その時はスマホなんてなくて、こんな写真を飾るアプリも無かった。

ま、この目がラブリーかどうかはさておき(笑)

懐かしい、と同時にまだ数年しかたってないのか……と思考が停止する時があります。

寂しいとか、悲しいとか、感情ではなく、なぜか私の場合、思考回路が止まります。

こういうのもペットロスなんでしょうかね……。

ここ数日、体調がかなりひどくて、気分も塞ぎがち。
母の病状も思わしくなく、ずっと私達の癒やしだった絹志朗がいない事が、本当に気持ちにどれだけ影響があるかを感じます。

頑張ろう、やりたい事やろうって思えるのですが、どこか、何か、気持ちが欠けたようなままで、……。

うまく言えないんだけど、、結局のところ寂しいんでしょうね。

何にもしないでただ寝てお腹空いたらポンポンと肩叩きに来て、食べたらサッサと寝る(笑)

猫ってそれでも一緒にいて飽きない生き物です。

スヤスヤと気持ちよさそうに寝てる姿を見るだけで、疲れも嫌な気持ちもなーんにも無くなってしまうぐらい。

16年、それが当たり前だったから、居なくなった事を受け入れていても、気持ちはついていってないんです。

体調が悪くて寝てると、ふと絹志朗がのしのしやってきて、ドカッと気持ちよさそうに横で寝てたのをしょっちゅう思い出して、今だっら羽布団だから嬉しがったろうな〜とか思ってしまう。

何をしても「絹志朗がいたら……」って考える。

なのに、あの子達の写真を見ると、そうだ、うちにも猫が居たんだ、夢だったみたいな気がする……とも思うのはなんでなんだろう?

答えは、出ないんだろうな。きっと。

懐かしい写真

「9年前の9月はこんなの」ってクラウドアプリから写真が送られてきた。



私のYシャツにどっかり乗ってますw

今でも、写真を見ると、絹志郎のふわふわの毛並や温かさを思い出して、勝手に涙が落ちてきます。
悲しいとか、そういう感情なのかどうかも分からないのに、涙だけがポロポロ落ちて・・・。

手を伸ばせば触れられそうなのにな・・・と思ってしまう。

じっとこちらを見る絹志郎が、今にも動いてくれそうで、長い時間この写真を眺めてました。

動画サイトなどでアメショーの子達の可愛い日常生活、なんてことない、ご飯食べたり、おやつもらったりする動画を見ては、癒されてます。

不思議と、その子達を見て「あぁそうそう、絹志郎もそうだったな」って笑ってしまうけど、その子たちが絹志郎に見えることはないです。

以前はきっとそういう動画を見たら絹や絹志郎を思い出して泣いてしまうって思ってた。

でも、やっぱり絹や絹志郎じゃない。

当たり前なんだけど、自分の中では少し意外でした。

にゃんこはみんなどの子もそれぞれ個性があって、本当にかわいいです。
だからこそ、飼い主さんにとっては「この子が一番!」って思える。
「ねこ」だから可愛いというのと、「うちの子がかわいい」は全然別次元ですよね。

私はトールペインターとして雑貨にペイントとしたものを販売していますが、委託先のオーナーさんが言っていた「猫が欲しいんじゃなくて、あの子じゃなきゃダメなの」という言葉に本当だなと思いました。

もちろん愛猫をなくして、また保護した子を引き取ったりする事ができれば一番です。
今生きようとしている命を支えてあげられるのはすばらしいことだと思います。

ただ、「そんなに寂しいならまた飼えばいいじゃない」と慰めのつもりで言ってくれる人もいますが、新しく迎える子は亡くなったどの子の代わりにもなれないという事なんだけどなと。

「心に空いた猫型の穴はまた猫でしか埋まらない」とどこかで読みましたが、私はあえて「ぴったり合う子はいない」と言いたいです。

それよりも、新しく迎える子の可愛さをまた十分に愛してあげればいいんです。

空いた穴は、埋まらないものなんですよ。
何十匹飼って、たくさんのさよならをした人も、それぞれの子を思い出してはやっぱり寂しいんです。別れに慣れることはありません。

10年経っても、その先も。

思い出して泣かないようになるには何年かかるんだろうって思ってましたが、泣かなくなる必要なんてないんだと思えるようになりました。

だって、寂しいんだもの。
いいじゃない、泣いたって、今も愛してるんだもん。会いたいんだもの。

楽しい思い出だけを思い返して笑えるようになったのなら、それもいいよね。

でも、泣くことも、笑って思い返すことも、どちらも亡くした子を本当に愛するがゆえです。

どうして泣くのを止めさせようとするのかとちょっと不思議に思います。

お気に入りの一枚

Twitterで「好きな画像を一枚貼って3人指名していくリレー」っていうのが回ってきました♪

私はもちろん絹と絹志郎の画像です。



赤ちゃんの時の貴重な一枚♪
なんてかわいい〜(親バカ全開)

この時はまだ父が若い頃使ってた一眼レフ(フィルムカメラ)で撮ってたんだけど、巻き上げが壊れてしまっていて、写真が重なってしまった苦い思い出が……。

この写真だけがきれいに現像できた貴重な一枚なの。

この↑の写真はいつも飾っているアクリル板で挟むタイプのフレーム越しにスマホで撮ったもの。

こんな時があったんだよね……本当にかわいくて可愛くて(笑)
何時間でも寝顔を眺めてたなー。

会いたいね…。

5ヶ月…

もう我が家から猫の姿がなくなって5ヶ月。

掃除かけても、全然猫の毛がないから、以前は一部屋かけたら捨てないと詰まっちゃってたのに、今は余裕で全部の部屋をかけられる……。

黒いマットも、一日で毛がついて白っぽくなってたのにね、この頃は一週間たっても綺麗なまま。

あぁ、猫のいない生活に戻ったんだなって、否が応でも感じる。

猫の抜け毛が無くなったかわりに、私の髪の毛が物凄い勢いで抜けてしまって……。

元々髪の毛が太くて、まとめるのが大変なぐらいだったのが、3分の1ぐらいまでに減ってしまった。。

束ねてたゴムが長くなったような気がして、おかしいな?と思ったら、自分の毛が無くなってたからだと気が付いたのは最近。

自分ではストレスを感じてはなかったけど、、やっぱりどこかで絹志郎のいない寂しさが、体調に影響してる。

熱が治まらない、痛みが消えない、前は薬飲めばすんなり消えたのにね。

夜寝る時、ふと、絹志郎が腕枕でゴロゴロいって添い寝してくれてたのを最近よく思い出す。

甘えてるのかと思ったら、私が寝るまで「子守唄」してたみたいなのね。゚(゚´Д`゚)゚。

寝たフリするとゴロゴロ止めて、じーっと様子を見て「寝たな」と確認すると、自分の場所に行ってやれやれという感じで寝なおすの。

なんだか可笑しくて、可愛くて。

なぜか、それを毎晩のように思い出す。

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プロフィール

HN:
saori*
性別:
女性
職業:
トールペインター
趣味:
手芸の類ならなんでも♪
自己紹介:
私の遺伝子の中に「猫が好き」が書き込まれていると思う。
現在アメショー猫・絹志郎の姉貴分(自称)。
大阪在住。

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